琵琶歌データベース

現代琵琶の古典曲(明治期から戦後昭和40年頃)の作詞目録です、随時更新中。
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最近琵琶発達史(大正11年刊)  目次
琵琶読本 吉村岳城著(昭和8年刊) 目次
琵琶変遷史(昭和36年) 目次

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松野紫雲 -琵琶界を内側から支えた市井の詞人-

松野紫雲 (まつのしうん 1895-1981) は本業食料品店経営の傍ら夫人の愛する現代琵琶楽の為に作詞を提供した作詞家、本名=三浦忠。夫人は錦心流琵琶演奏家の三浦蓮水。

松野紫雲

宮城県出身、学校卒業後上京し、初め横浜の輸入食料品店大村屋に就職、業務で3年余り中国に滞在ののち帰国するも大正13年の関東大震災で店が焼失、銀座亀屋に勤めを変え大阪の第一号店支店長として関西移住。昭和5年兵庫県西宮市夙川駅前に食料品店”つるや”を開く。以後同店経営を通して地元夙川の発展に尽くす。
琵琶曲作詞は昭和33年妻の三浦蓮水が第一回琵琶演奏会を大阪三越劇場で開催した際、来演した錦琵琶宗家水藤錦穣の名演に心動かされ、妻蓮水の勧めもあり琵琶曲作詞を試みるようになる。以後筆名を松野紫雲と号し、大小様々な作詞を提供するに到る。代表曲は楊貴妃、屋島懐古、琵琶塚、弁財天等、総じて18に及ぶ。
昭和56年2月26日、腎不全の為に永眠、享年86。

ペンネーム”松野紫雲”は経営するつるやの銘菓「紫雲」にちなむ。

 

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6月1日 調布たづくり琵琶演奏会

表題の通り調布たづくり内のむらさきホールでの演奏会に出演いたします。私は盲目景清を演奏いたします。お近くの方是非おいで下さい。

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藝の友(デジタルライブラリ)

藝の友は戦前朝鮮で音楽誌を自費出版されていた鈴木誉士氏(すずきたけし:藝の友社社長)が戦後帰国された後に友人に促され昭和25年から発刊した邦楽専門月刊誌です。吟詠や剣舞などの記事もありますが琵琶の記事が多く実質琵琶専門誌といって良いでしょう。昭和25年5月から昭和57年頃まで斯界の動向を拾った記事を会員に届けました。京弦同様こちらも今回筑前琵琶旭会の藤巻旭鵬師より寄贈いただきましたので一部ですが公開します。   藤波白林
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池上作三 -琵琶界の偉大なる支援者-

池上作三(いけがみさくぞう1888-1979)氏は琵琶演奏家ではなく、純粋に琵琶界の一応援者として斯界を支えた名士です。明治21年山口県出身、長州藩名士の流れを汲む家柄で岸信介、佐藤栄作元首相の伯父にあたる。帝国大学医学部を修め職業は内科医、池上病院を経営。琵琶には戦前より琵琶新聞等への寄稿や琵琶演奏会も主催、演奏家への援助等をした。晩年は源実朝、戦艦大和、邯鄲など十数曲を作詞、斯界に提供した。日本琵琶楽協会顧問、初代旭翁時代より筑前琵琶旭会顧問。昭和54年初頭より体調を崩し3月14日、老衰の為逝去、享年91歳

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第2回琵琶名曲鑑賞会 1959年 於:丸ビルホール

池上翁主催の第2回琵琶名曲鑑賞会 昭和34年11月
前列左より大舘錦旗、水藤錦穣、田辺尚雄、池上作三、三浦蓮水、山口錦堂、松田静水。
中列左より新部櫻水、藤波櫻華、藝の友鈴木社長、吉水錦翁二代目、馬瀬槍水、若水櫻松、平田旭舟。
後列左からひとりおいて石田琵琶三代目石田不識、山元旭馬。

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盲目の琵琶詩人 高松春月

高松春月(たかまつしゅんげつ) [1871〜1935]
高松春月は明治4年信州出身、小学校の教員であった頃、化学実験中に水素ガスの試験管が破裂し破片と溶液が両眼に入り視力が衰えるに拘わらず地元新聞記者や家庭教師として奮闘し、その後上京して国民新聞に入社、文壇に奮闘した。しかしその後の手術不良のためまったく失明してからは琵琶研究を新生涯と志し、永田錦心の門に入り一水会のために当時新作琵琶歌、逆櫓、寧楽の櫻、松の間、雪晴、山科の別、別れの杯、紅葉狩。接待、鵯越等を発表した。明治40年秋、永田の黄嘴会を永田の”永”の字を一と水に分け”一水会いっすいかい”と改称を進言したのは高松である。斯くして永田錦心を補佐し錦心流に貢献著しき恩人であった。昭和10年10月13日死去。享年64。
琵琶新聞291号昭和10年11月 高松春月訃報
琵琶新聞382号昭和18年6月 椎橋松亭永田錦心の巻(四)一水会生る、高松春月の事

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京絃(デジタルライブラリ)

“京絃”は京都在住※の錦心流琵琶奏者植村寞水師(うえむらばくすい:京絃社)が私費を投じて刊行された琵琶楽情報誌。戦後の昭和29年より昭和後期まで年会費を募り会員に配布されました。内容は琵琶にまつわる読み物や研究、演奏会レビュー等投稿記事や植村氏自身が取材した記事を多く掲載。今回筑前旭会の藤巻旭鵬師より寄贈いただいたのでデータ化してここに公開します、当時を知る資料として琵琶史研究に役立てば幸いです。  藤波白林
※後に大阪へ転居
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琵琶劇を試した永田錦心  ー椎橋松亭ー

大正二年十月の事、栗島狭衣氏の指導で新橋倶楽部に聚星会の琵琶劇があった、藝題は鉢の木で錦心の常世に錦獅の時頼、琵琶は岩見錦浦氏だ。中で錦心はセリフも立派、表情も一際目立って上出来だ。然し当時の私は頑固の方でこれを醜態なりと叫んで攻撃したものだ、すると錦心はこう答へた。「琵琶を大衆化するにはこうした試みも必要である、語り物としての琵琶は将来劇的な表現に近づいて行くだらう」と
琵琶新聞367号(昭和17年3月)より

以上は昭和17年当時の琵琶新聞に寄せた椎橋松亭氏のコラム。錦心没後15年を記念した回想を思われるが、当時の試みを否定した自身への戒めも感じられる。

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平豊彦 ー隆盛を極めながらも夭折した天才琵琶師ー

明治後期以降、東京では一派閥を築く者が多く現れ、世はまさに薩摩琵琶のカンブリア紀ともいえる様相があった。ここでは主にポスト帝国琵琶と言うべき琵琶人と一派を特集、その第一回は平派、薩摩琵琶正派の若き宗家平豊彦を取り上げる。 Continue reading

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錦琵琶と五弦五柱

起こり
 錦琵琶の初めは錦心流宗家永田錦心が、大正15年5月の山口春水(後の錦堂)門下の演奏会(※1)で楽屋にて一水会幹部に「これからは柱を五つ四の糸を二音階半上げて(本調子)やってみたい、薩摩琵琶(四弦四柱)を弾いていると薩摩琵琶の連中から、”なんだ歌だけ変えて錦心流とはなんだ“と言われるから(※2)」と発言したことから始まっている。柱を増やし四弦五柱本調子という筑前琵琶とほぼ同じ(※3)、三味線と同じ調弦、当初端唄のできる琵琶を目指したとのことで、この新楽器で最初に作られた歌は端唄“春霞はるがすみ”だった。これは先代宗家である吉水錦翁が、薩摩発祥である琵琶から独立し、帝都東京の楽器として”帝国琵琶(※4)”を提唱した考えの先を行くアイディアであった。 Continue reading

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[肥後琵琶](下) 山鹿良之

琵琶機関誌”京絃”に昭和54年(1979)掲載された寄稿文の最終回です。

芸と祓い
 山鹿さんは二十九歳で結婚した。結婚する前は筑後を中心に廻っていたが、子供が出来てからは南関町や山鹿市など、主に家の近くを廻るようになった。また山鹿さんの琵琶師としての活動は大変広いものであった。
座敷琵琶や、わたまし、釜は祓いの他追善供養、観音様、御大師様、神社の夜籠りー等、様々な機会に招かれ、琵琶を弾いた。仏事には般若心経、懺悔経、舎利経、三十仏などの経文や仏名を唱えた。また村の祝事の祈りに琵琶を弾いたこともあった。 Continue reading

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